小説を書くという行為と感覚について

小説を書くという行為は心を掘り当てる行為だ。


自分の心、だけではなくて、そこを掘り進めていくと、
誰の心にも流れている共通感覚、
鉱脈のようなものにぶつかれるのだと思う。


自分の中を流れる物質と、誰かの中を流れる物質とは、
もちろん違いはあるけれど、
流れているということにはかわりなくて、
そこに、僕らは通じ合える可能性があるように思う。


それは言い換えれば真理であり真実であり
人間の定理とも呼べるもの。


人間の最小公約数。
それが、国境と人種と時間を超えて出会う
あなたの中にも、僕の中にもきっと流れている。


以前こんなふうに考えたことがある。


ここに、あなたがいる。
あなたはあなた以外の誰かと、接触し、関わりを持ち、
すれ違い、また別の誰かと出会っていく。
その別の誰かも膨大な出会いを繰り返す。
それが相互作用と連鎖を繰り返していけば、
あるとき全ての線と線は結ばれて、織りあい、
巨大なひとつの循環となるのではないか。


あなた一人がいるだけで、
僕一人がいるだけで、
世界を丸ごとひとつ包み込んで
証明することができるんじゃないかって。


偏見を取り払い、身体の中を真空に保ち、
素直に世界を感じきること。
その感覚をまっすぐに掘り進めて行くこと。
それが同時に、人間という存在全体にきっと繋がっていく。


そこまで行って、書きたい。
そこまで行って見える風景を書きたい。


人は、自分に執着する。
自分という人間に執着する。
苦悩し、嫌悪し、絶望する。
けれど、人間を捨てることはできない。


どこかで人間にしがみついて、
人間を愛していて、人間でありたいと願う。
それはとても健全なあり方だと思し、そこに、
人と人とが繋がりあう可能性があるように思う。


僕は、自分を徹底的に掘り尽くし、
露出し、表現することで、この感覚が正しいことを証明したい。
一生分の青春を賭けて、証明し尽くしたい。
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# by walcre_ajia | 2010-01-04 23:45 | essay

社会人の、月日の早さに、物申す。



 カタチとして残る「何かしら」を成し遂げないことには、いつまで経っても「あっち側」に行けないとわかった。


 つい最近、社会起業家や活動家が集まる会で酒を飲んだとき、「こっち」じゃなくて、「あっち」に行きたいなーと思ったのがきっかけ。所属団体の名刺でなく、人間としての名刺代わりになる「何かしら」が猛烈にほしい。1冊の本でも、1枚のCDでも、自分が推進する事業でも。そうゆうものがあれば、それを武器に社交的にふるまうようになるのか、と言われれば、逆にそれを盾にして、再び俺は引きこもりそうだけれど。

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# by walcre_ajia | 2009-12-19 02:52 | essay

宣言を、継続すること


再び岡本太郎『今日の芸術』からの引用。


「公言は公約です。『おれこそ芸術家である』と宣言した以上、すべてそれ以後のわざわいは、おのれだけに降りかかってくるのです。だまっていれば無事にすんだものを。しかし、ノッピキならない立場に、自分を追い込まなければいけない。言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。言ったことが大きければ大きいほどそうなんです。…(中略)…自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです。だから猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めてゆくべきです」

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# by walcre_ajia | 2009-12-15 01:08

「減るもんじゃないし」と男は言い、 「減るわよ」と女は答える。

「減るもんじゃないし」と、男は言い、
「減るわよ」と、女は答える。


先日見た、何かの映画でのやり取り。

実際に、同様のやり取りを経験したことがある。
そのときは、一体何が減るのかわからず、
確認の意味で、もう一度同じやり取りを繰り返すことになった。


「減らないだろ?」
「減るのよ」


本当に何かが減るのだろうか。
見た目にはわからない、かすかな、淡い損失のようなものが、存在するのだろうか。

映画の中にも、説明の描写はなかった。
男と女の差異を考えるとき、いつもこのやり取りを思う。
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# by walcre_ajia | 2009-12-15 00:51 | essay

人間としての共通感覚

4畳半の部屋のなかにあって、どれだけ心をひろく保てるか。
ひろくして、新しいものを生み出すことができるか。
常に頭を悩ませる、重要課題。

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# by walcre_ajia | 2009-12-14 23:44 | essay

"生牡蠣的な感受性"について思い返したこと。

僕の大好きな詩人に茨木のり子さんという人がいるのだけど、
彼女の詩「汲む」の中に、こんな一節があったのを思い出した。

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# by walcre_ajia | 2009-12-14 23:05 | essay

写真展「100人の瞳」④

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「おい坊主、いいもん持ってんな!
なになに、カメラ?
うぉーい初めて見るよ!な、一枚撮ってくれよ。
これ広げちゃうもんねー。撮れた? 撮れたか?
じゃあ次俺!俺に撮らせてくれよ!な?な!」



写真展「100人の瞳―バングラデシュの子どもたちに 世界はどんなふうに写ルンだろう」
http://banglaphoto.jugem.jp/
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# by walcre_ajia | 2009-01-31 14:32 | bangladesh

写真展「100人の瞳」③

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バングラデシュのマーケットはとってもカラフル!
鮮やかな原色の野菜やくだものが、ポコポコ積み上げられている。
「写真なんか撮ってないで、ひとつ食っていけよ!」
そんな陽気な声が聴こえてくる。


写真展「100人の瞳―バングラデシュの子どもたちに 世界はどんなふうに写ルンだろう」
http://banglaphoto.jugem.jp/
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# by walcre_ajia | 2009-01-31 14:30 | bangladesh

写真展「100人の瞳」②

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カメラを渡した子どもたちが路上ではしゃいでいる。
その様子を、物珍しそうに、ボロ布をかついだ少年がふり返る。
仕事慣れしているのか、その腕は太くたくましい。
ふっと、寂しげな、懐かしげな表情が浮かんだ。
その瞳を再び前へと戻し、雑踏の中へかき消されてゆく。


写真展「100人の瞳―バングラデシュの子どもたちに 世界はどんなふうに写ルンだろう」
http://banglaphoto.jugem.jp/
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# by walcre_ajia | 2009-01-31 14:28 | bangladesh

写真展「100人の瞳」①

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バングラデシュでは煙草を1本単位で買うことができる。
物売りに数タカ手渡して、箱から一本抜き取るのだ。
そうして手にした、数分間の贅沢。
隣に笑い合える仲間、それで十分幸せなのかもしれない。


http://banglaphoto.jugem.jp/
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# by walcre_ajia | 2009-01-31 14:24 | bangladesh