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小説を書くという行為と感覚について

小説を書くという行為は心を掘り当てる行為だ。


自分の心、だけではなくて、そこを掘り進めていくと、
誰の心にも流れている共通感覚、
鉱脈のようなものにぶつかれるのだと思う。


自分の中を流れる物質と、誰かの中を流れる物質とは、
もちろん違いはあるけれど、
流れているということにはかわりなくて、
そこに、僕らは通じ合える可能性があるように思う。


それは言い換えれば真理であり真実であり
人間の定理とも呼べるもの。


人間の最小公約数。
それが、国境と人種と時間を超えて出会う
あなたの中にも、僕の中にもきっと流れている。


以前こんなふうに考えたことがある。


ここに、あなたがいる。
あなたはあなた以外の誰かと、接触し、関わりを持ち、
すれ違い、また別の誰かと出会っていく。
その別の誰かも膨大な出会いを繰り返す。
それが相互作用と連鎖を繰り返していけば、
あるとき全ての線と線は結ばれて、織りあい、
巨大なひとつの循環となるのではないか。


あなた一人がいるだけで、
僕一人がいるだけで、
世界を丸ごとひとつ包み込んで
証明することができるんじゃないかって。


偏見を取り払い、身体の中を真空に保ち、
素直に世界を感じきること。
その感覚をまっすぐに掘り進めて行くこと。
それが同時に、人間という存在全体にきっと繋がっていく。


そこまで行って、書きたい。
そこまで行って見える風景を書きたい。


人は、自分に執着する。
自分という人間に執着する。
苦悩し、嫌悪し、絶望する。
けれど、人間を捨てることはできない。


どこかで人間にしがみついて、
人間を愛していて、人間でありたいと願う。
それはとても健全なあり方だと思し、そこに、
人と人とが繋がりあう可能性があるように思う。


僕は、自分を徹底的に掘り尽くし、
露出し、表現することで、この感覚が正しいことを証明したい。
一生分の青春を賭けて、証明し尽くしたい。
by walcre_ajia | 2010-01-04 23:45 | essay
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